2017年は「日本のいまの現代思想、結構面白いじゃないの」という個人的な発見があった年だった。東浩紀、千葉雅也、そして國分功一郎の著作はさかのぼって読んでみようかな、という気分になっている。『暇と退屈の倫理学』は『中動態の世界』の感想を読んでくれた高校の後輩が「これも面白いですよ」と教えてくれたのだった。
タイトルにあるとおり「暇と退屈を哲学の言葉によって思考する本」には違いないのだが『中動態の世界』を読んでから、この本にたどり着くと「國分功一郎の問題関心ってココにあるのね」という気づきがある。議論の抽象度は違えど(『中動態の世界』のほうが抽象度はずっと高い。「哲学的」だ)、人間はどのように選択をおこなうのか、どのように意思をもつのか、どのように自由であるのかがコアな問題としてふたつの本の根底にはある。
本書の結論部で著者は「結論だけ読んでも意味がない」と書いている。「これは著者の思考プロセスをなぞるように読んでいく楽しさがあるな」と思っていた矢先に、こういう記述に出会えたのは、こちら側の気持ちを見透かされているかのよう。著者いわく、読者は通読して初めて結論部の意味を得ることができる。付け加えるならば、読んでお手軽になにかの知識を得られる本ではない、とも言えるだろう。
こうして読みながら考える面白さ(それは著者に思考を肩代わりしてもらっている、とも言えるのだが)に回帰しはじめております。