sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年5月6日、あるいはピアソラのアメリカン・クラーヴェ

起床

6時前。

昨日、Hのおもちゃを直すのにアロンアルファを使っていた際に(ぜんぜん接着せず終わった)どういう原理の接着剤なのか調べていた。空気中の水分に反応して固まるものらしい。筋トレ(背中、腹筋)をしながら、ふと「あ、それって漆と一緒じゃん。漆をヒントにしてるのか?」という気づきがあった。

天気が悪いせいか、Hがゆっくり起きてくる。

 
 
 
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5km。最近は走り出して2kmまで心拍数がどこまで上がるかで調子を図っているのだが(だいたいそのときまでに140BPMぐらいになっている。調子が悪いと150BPM近くまであがっている)、今日は2km過ぎても130BPM周辺だったので中盤からビルドアップ走にした。心拍は190BPM近くまであがった。残り500mぐらいが最高にキツいのだが充実感はある。 

sekibang.hatenadiary.com

読了。

現代哲学の最前線 (NHK出版新書)

現代哲学の最前線 (NHK出版新書)

 

 次。

夕方、糖質ゼロビールを飲みはじめる。明るいうちに思い出して駐車場の邪魔になってる植栽の枝を切る。

夕食とともに日本酒。

ストレッチ後、エスプレッソを飲む。そして風呂。

Twitterピアソラアメリカン・クラーヴェから出したアルバム(そのうち重要なのは2枚だけ。『ラ・カモーラ』と『タンゴ・ゼロ・アワー』)がサブスクで聴けるようになっていたことを知る。狂喜しながら読書(サブスク音源の音が良い気がする)。当然CDでも持っているわけだが……。

いろいろ調べ物をしていたらDCPRGのファーストがアナログででる、ってんで予約。 

『哲学の歴史』6巻のメモ

 バークリの章。これも名前は知ってるけど、まったくなんの人か知らない人であった。議論自体はかなり面白い、というか、この章は導入部のフックが良い。「「私」がいなかったならなら世界は存在しないのではないか」(P. 173)、こういう気持ちからバークリは自身の哲学をはじめたのだ、と。で、彼はその存在論において「存在するとは知覚されること(Their esse is percipi)」と語った。さらには「物質は存在しない」とまで言う。
これだけだと私以外世界じゃないの(私が知覚してないものは存在しない)的な独我論に解釈されてしまうが、そうじゃない、という。さらには、知覚されないものは存在しない、けれども、素朴な実在論ともこの主張が両立するんだと。どうやって? ややこしいけれども、このロジックが個性的である。著者曰く「物質が存在しない」っていうのは、それ自体を観念として知覚できないから、存在しない、っていうことらしい。そして、私が知覚していなくても、他者が知覚しているかもしれないし、究極な他者存在と位置付ける神が知覚しているかもしれない。
なんだよ、神によって存在が支えられてる、って普通の話すぎねーか? と早とちりしてしまうのだが、バークリが面白いのは、神の存在をアプリオリに前提するのではなく、「私」がいるかもしれない、いるだろうという推論によって導いている点にある。

バークリの章を読んだら、なんか疲れたので、陶磁器の辞典を眺めはじめた。

陶磁 (日本史小百科)

陶磁 (日本史小百科)