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文化的消費活動の日記

服部正也 『ルワンダ中央銀行総裁日記』

本書の存在を知ったのは山形浩生さんの書評だったと思うが、実際に読むまでにずいぶん時間が経ってしまった。いま、その書評を探してみたら2009年末のメルマガだったらしい。その後、何度も名著としてとりあげられているようで、近所の小さい本屋で面出しで並んでいたのを買い求めた。

1965年にIMFの途上国援助の一環で日銀の職員からルワンダ中央銀行総裁として働くこととなった著者の6年間の奮闘記。中央銀行の業務範囲は本来金融政策にとどまると思うのだが、外国人商人によって支配的なところがあった当時のルワンダ経済でルワンダ人商人の力をつけさせるための施策を打ったり、公営バス事業の再建を手掛けたり、八面六臂の活躍をみせる。あえてバカの感想をかけば、昔の日本人は偉かったんだな、と思う。それは著者の働きぶりばかりでない。たとえば、公営バス事業では日産ディーゼルが技術者派遣をおこなっている。バスを売るだけじゃなく、それが長く走れるような技術も売り先に身に着けさせ、そして整備工のような職をも生み出す大きな仕事をしている。そこには真に社会的な仕事、仕事の尊さ、のようなものを感じる。

もちろん、それは「そういう時代だったから(真っ当な商売をすれば、それが公的な善へとつながっていく単純な時代だったから)」とも言うことができる。遠い時代の記録。その遠さは著者と当時のルワンダ大統領との対話のなかにも見いだせる。

日本の場合はどんなに貧乏な家の子でも、勉強して試験に合格すれば一流の大学に入れ、しかも一流の大学ほど学費は安いのです。現に私の学友のうち三分の二は苦学していたのです。一流の大学を出れば官界事業界に自由に入れ、最高の地位も獲得できるという自由競争が行われています。

この日本が、なんと遠くなってしまったことか!

細かなところで興味を惹いたのは、著者が着任して間もない頃のルワンダの商店に日本製のワイシャツが並んでいた、という点。著者の働きで輸入物資の多様性や数は大きく改善するのだが、それ以前のルワンダに日本製衣服が届いている事実に小さな驚きを得たのだった。

製造業の構成割合の推移(平成22年版 労働経済の分析より)

1965年といえばまだ日本の産業のなかで、繊維・衣服業がまだ大きな割合を保っていたころである。ルワンダで見いだされた日本製のワイシャツ(なお、このワイシャツを扱っていたインド人商人の店主ラジャンは本書でそこそこに面白いエピソードを提供してくれる重要脇役とも言えよう)は、当時の世界的に見ても「比較的品質良く、安い日本の衣料」の象徴……だったのかもしれない(当時の日本製衣料の立ち位置についてはもう少し勉強してみたいところ)。この記録的な円安のなかで日本の衣料製品の立ち位置は、また大きく変わるのでは、と思うのだが、これもまた「遠い日本」という感じがする。