sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年2月7日、あるいは去勢願望

5時前になんとか起きる。背中の上の方、僧帽筋あたりに激しい筋肉痛。英語ルーティンをこなす。あれこれの些事をすませて筋トレ、腹筋。

筋トレ後にシャワーを浴びて、ひさびさに体重をはかる。順調に増量できている。70kgまで体重を増やしてみたいが、このペースだとあと半年ぐらいで達成できそうだ。体脂肪も増えていっているが、調べたところによると15%を超えたら減量期に入ったほうが良い、とか、20%を超えないようにすれば良い、とかある。あまり数値にこだわっても仕方がない気がするので(コンテストにでるわけではないのだから)自分が良いと思える身体を維持して進めたい。

 
 
 
 
 
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Hの靴を寄付する準備をして仕事。

昼休みに買い物。仕出し弁当の店でお弁当を買って家で食べる。豆や野菜が入ったち煮物を食べながら、こういうものをちまちまと食べるのは脳に良さそう、と思う。食べるのにうまく箸を使う必要があるから。

精神分析の本を読んでいて、ある年齢の子供はエディプス・コンプレクスとは別に、親から去勢のほのめかしを誘うような言動をしているんじゃないか、という考えが浮かぶ。Hがお風呂上がりに、いつまでもまるだし状態で「おしっこじゃー」とかやってると(「おしっこじゃー」を発話するリズムといいテンポといい、自分が子供だったときに聞いたそれと全く同じように聞こえ、いったいそれがどのように言い伝えられてきたのか、と驚きもするのだが)、ついつい「切っちゃうぞ!」と言いたくなる。これってつまりは、子供は去勢されたがっているんじゃないか、と。どのような動機で、というところが問題になろうが、そこには去勢不安、みずからの存在を脅かされることをスリルとして楽しんでいるような節がありそうだ。
精神分析を分析家(あるいは分析主体)の立場から語る文章を多く読んできたが、母の立場、あるいは父の立場から語るものは寡聞にして知らない。精神分析は乳幼児と接するなかで役に立たなくもないと思う。

Croz

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デヴィッド・クロズビーが亡くなったときにピーター・バラカンがラジオでこのアルバムから曲をかけていた。2014年作。ソロ・アルバムとしては20年ぶりの作品だったらしい。2021年の『For Free』が素晴らしかったけれど、このアルバムもめちゃくちゃ良い。デヴィッド・クロズビーの近年の作品がずっとモダンAORな風合いだったことを知らなかった。

西遊記』ってちゃんと知らないな、と思い、子供と読むプロジェクトを勝手に立ち上げる。いろいろ翻訳に種類があるのだが福音館のものにした。

今晩も野村訓市の声で寝かしつけ。「ヘンゼルとグレーテル」。