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文化的消費活動の日記

鷲田清一 『てつがくを着て、まちを歩こう』

先日読みなおした『モードの迷宮』に引き続き、鷲田清一のファッションに関するエッセイを読んでみる。90年代後半に書かれた短い文章を集めたもの。風俗や時事を扱った文章で25年とか時間が経っているものには、熟成されて読み時になっているものと腐敗しちゃうものにわかれるが、これは後者。いま読むとインテリのおじさんが女子高生の理解できないところや日本のサラリーマンの冴えなさを難しい言葉で難癖つけてるだけの文章にしか読めない。

とくにサラリーマンの画一性やだらしなさを服飾の観点からも腐していく態度は徹底的な気もするのだが、これを読むと現代のサラリーマンは随分まともに、カッコ良くなったんじゃないか、と思う。雇用の流動性が高まり、実力主義ネオリベ的発想が世の中で支配的になった結果、カッコ良いサラリーマンが増えた、ということな気がするのだが、いや、本書が書かれた時代ではだらしないオヤジでも立派にやっていけた時代だったのだ、むしろ、そのユルさこそ言祝ぐべきなのではないか。

まだインターネットが普及していない時代(インターネット直前)であるから、大衆への風俗やファッションの伝播がテレビ中心で考えられている点も「歴史的」って感じである。90年代と言えば日本のストリートファッションが注目され、現代のファッションにもつながる大きな源流となる時期だと思うのだが、筆者は「マスメディアの仕掛け人が流行をコントロールしている」みたいな見方をしているので、ちゃんとストリートにあったものを見れてない感じがする。筆者の方もテレビを通してしかストリートを見ていない、というか。そういうところを含めて「おじさんが書いた本」って感じである。

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