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文化的消費活動の日記

『プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン 実績・省察・評価・総括』

映画「シン・エヴァンゲリオン」の制作担当者によるプロジェクト報告書。いにしえの「考察本」のような体裁なのだが、オフィシャルのプロダクト。内容もかなり面白い。庵野秀明やシン・エヴァの主要スタッフのみならず、外部からの目(川上量生鈴木敏夫ら)による評価も行われており、とにかくみんな、エヴァンゲリオンに関わっている人々は庵野秀明のことが大好き、ということがわかる。直接、庵野秀明と働くメンバーからの声からは、そのマネジメント力、メンバーの能力を本人が認識している枠を超えて引き伸ばすディレクション能力を垣間見ることもできる。マネジメント関連の一般ビジネス書としても読めるし、その種の本のなかでも奇書よりも名著かもしれない。

アニメ制作の現場は、主体となってやる会社を中心として進められるが、その会社だけではできないことも多々あるので、協力会社やフリーランスの力も借りながらプロジェクトが形成される……という話は、システム開発のプロジェクトにも通ずる話だが、本書は(たとえば)ウォーターフォールで進められるシステム開発の現場と、「シン・エヴァ」のクリエーションの現場との差異をむしろ明確にしている。

前もって決められた仕様書や設計書に従って進んでいく開発と、絵コンテによって定義されたアングルやシーンにしたがって制作される従来のアニメ制作は似ている。しかし、「シン・エヴァ」で試されていたのは「期限」という有限性のなかで、様々な可能性を検討しながら完成までの姿を「探っていく」手法だった。プロジェクトのなかでは「こうしてください」という具体的な指示だけではなく「もうちょっと探ってもらっていいですか」という曖昧な要求が庵野秀明から何度もなされたのだという。その曖昧な要求をメンバーは解釈・思案し、再度意思決定者に提出する。この繰り返しによってときに監督や制作メンバーの想定を超えるアウトプットが生み出されていくことがあったのだという。

こうしたプロジェクト進行の様子を読みながら(最近、システム開発の現場にいることもあって)ビジネスの現場において「探る人材」の枯渇について考えてしまう。いるのは具体的な指示待ち人間ばかりであり「指示がないから仕事が進まない」みたいな声を聞くことも多い。指示を出す側と受ける側。そのような明確な役割分担は、責任の切り分けを明確にする。「探る」と探る側にも引き受けなくてはならない責任が発生する。みんな責任を負いたくないから探りたくないのだ。そういう言い分はわかる。でも……と思う……というか、むしろある種の混沌とした現場だと「探る」ことさえできれば、評価を高められる、勝ちパターンに乗れる、という現状があるように思う。

また、アニメーション制作の現場でもこんなにコミュニケーション力(これも探るための能力だ)が必要とされるのかよ……という驚きもある。アニメ好きなオタクで「アニメに関わりたい!」と思ってても、コミュ力ないと現場に入っていけない。これはとてもかなしい。