起床
6時。筋トレ。肩、上腕三頭筋。朝でも汗ばむような気温になってきた。
昨日読みかけていた富野由悠季が庵野秀明らと『逆襲のシャア』について対談している記事を読む。富野、庵野、宮崎ならやはり富野を支持したい。近代文学をSFで、アニメでやろうとした人なのだな、という思いがする。
聞き逃し配信で「メロウな夜」。昨晩の夢のなかにでてきた松尾潔さんとは「魅せられて」のカヴァーについてお話しさせていただいていた。「あのイントロをいじらないのが素晴らしい。まるでクリーンナップはいじらない、って感じで」とお伝えすると喜んでいらっしゃった。イメージどおりの(夢のなかだから当たり前なのだが)ナイスガイで、外はものすごい嵐でなかなか帰れず、タクシーもこないなか(どこか学校のようなところで授業のようなことをしていた)談笑している。「こんな天気だから一泊したいところなんですが、家に帰って子供の相手をしなきゃいけないんです」と言って車を待っていた。
10km。今日で今月90km。月の半ばから走り始めたが、なんとか月間100kmいきそう。 徐々に体重も減少傾向がでてきた(日によって減ったり増えたりしているので傾向でみていくのがいいのだろう)。しかし、毎日同じようなことを繰り返すのがなんて得意なのだろう、と思う。刑務所にいったら立派な模範囚になれそうだ。
読了。一瞬で読了。
次。
(Twitterにメモしておいたことを少し書きまとめておく。Tさんとのやりとりのなかで思いついたこと)
同性愛は公的に出すものではなく隠れてこそこそやれという保守派の抑圧と、同性愛を公の権利に!ただし健全な生き方が大事、という主張を比べるなら、前者の方がマシだと感じる。これは、前者の古い権力形態の方が隠れる余地があるのに対し、後者はもはや隠れる余地のない平常点管理社会だからだ。
— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年3月29日
「隠れる余地のない平常点管理社会」。たとえば陰口などを言う場すらも許されない社会、あるいは本音と建前が一体化し「本音で言えば……」が許されない社会、清濁併せ呑むことが許されなくなり清だけが純化する社会、そのような社会を「世界のA面化」と呼んでみたい。世界的なヴァイナル・ブームとシンクロさせて。B面へとひっくり返すことが許されないのではないではなく、B面の存在そのものが否認された世界へと意識の高い人が向かっている。しかし、格差の問題がある。B面的なものを抱えざるをえない人々(貧しい人々)は、ストロングゼロによって現実を歪曲しながら生存しようとする。A面化とスト(ロング)ゼロ(による世界の歪曲)化は、表裏一体というか、本当は同じものだ。B面の否認も世界の歪曲にほかならないからだ。このほかにも公文書の改竄や陰謀論、政権によるあらゆる批判の無視、ニュースは世界の歪曲に満ち満ちてしまっている。その根本問題として貧しさがある。経済的にも、心理的にも貧しい荒廃した風景のなかで(心理的な貧しさも結局は経済的な貧しさに起因するのだろう。貧しくても心は綺麗、はありえるかもしれないが、貧しくても心が豊か、はありえないのではないか)清濁の濁を飲み込む余裕がなくなっている。そうであるがゆえに純化された、単純なものを希求するのだ。
夕方からヱビス。夕食とともに赤ワイン。
ストレッチ。風呂。
読了。
次。
買う。