sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年9月17日、あるいはくら寿司リベンジ

6時に起きる。筋トレ、背中、腹筋。

SIDE-EYE NYC (V1.IV)

SIDE-EYE NYC (V1.IV)

  • アーティスト:PAT METHENY
  • ADA/BMG/MODERN RECORDINGS
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ライヴ盤なのかな。近作はイマイチピンと来ていないものも多かったのだが、これは良い。普通に良い。あのパット・メセニーって感じ。

US R&Bの女性SSWの新譜。ジェレマイやラッキー・デイ、クリス・ブラウンなどメロウ方面の男性シンガーをゲストに迎えている。良い。

Kinfolk 2: See The Birds

Kinfolk 2: See The Birds

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先行配信が良かったネイト・スミスのアルバムも良かった。

昼食前に自転車で20kmちょっと走る。ものすごい坂を登ってかなりツラかった。ランニング中によく姿を見かけていたロードバイクの高齢の男性の後ろを走る瞬間があり、その脚に着目。ものすごい鍛え上がっていて震えた。

昼食はマクドナルドへ。

夕飯はくら寿司。こないだのびっくらポンのリベンジ。30枚でようやく1個あたりリベンジ成功。途中連続ハズレでHが泣きそうになっていてハラハラした。

帰宅してオレンジワイン。〆に糖質ゼロビール。

ストレッチ。ダラダラと仕事をしながら夜を過ごす。風呂。その後、散漫な読書をして寝る。

2021年9月16日、あるいは必要がない

6時に起きる。筋トレ、胸、上腕二頭筋

淡々と仕事。

昼食に冷凍の沖縄そばを食べてみる。まぁまぁイケる。

2日連続で1時間電話で話す、みたいな仕事。発声の問題なのか、喉が弱すぎるのか、ここ数年1時間ぐらいプレゼン調に話すと喉が痛い。

終わって走る。5km。スピード練習。平均ペース5'01''/km。もう1km行こうかと思ったが心が折れた。しんどい。足腰の筋肉がどうこうよりも心肺機能がついていかない。でも、これをやり続ければきっともっと速く、長く走れるようになるのだろう。もっとも、速く、長く走れる必要はまったくないのだが……。

臨時収入があったので欲しかったメリノウールのTシャツを買う。Goldwinの公式サイトで注文したが、Amazonのほうが安かった……。

藤原ヒロシがインスタにRolexのサブマリーナの写真をあげていた。良いな、やっぱ、Rolexのスポーツタイプの時計欲しいな、って思ったが、自分にはApple Watchがある(厳密に言えば高い機械式時計はほかにも持ってる)。左手首につけたデヴァイスによって計測された数値によってもたらされる、ある種の安心感、これは自分のASD傾向と繋がっているように思うが、考えてみれば、別に数値に寄りかかって生活する必要もまったくない。速く、長く走れる必要がないように。こうした「考えてみれば必要がないもの」への気付きが最近は多い気がする。たとえば体脂肪率、だとかもそう。家の体脂肪計の数値の変動が激しく、どうなっているんだ、と落ち込みさえするのだが、鏡で見る自分の身体は、いまだかつてないほどに筋肉量があるように見えている、だから、数値なのではなくそうした外見的なもののほうをよっぽど信じたほうが良いのだ。そう、そう、そうなのだが。毎日おいしいものを食べる必要もなければ、新しいレコードを買い集める必要もない。そう、そうなのだ。

昨日のワインの続き。さらにすだち泡盛ソーダ

ストレッチ。風呂。

Fantasia

Fantasia

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ネバヤンの人のソロ。ちょっと聴かずにいたのだが良かった。細野さん色が強すぎる感じもするが。

2021年9月15日、あるいはLovebeat

6時前に起きる。筋トレ、腹筋。Appleの新製品の発表をチェックする。11月には今のiPhoneから乗り換えられる契約になっているのだが、そこで乗り換えなくてもなぁ、という気分。バッテリーの持ちも悪くないし。ただ、端末サイズをminiにする、ってのは良い気がする。新しいiPadは自分の仕事用に欲しい。

幼稚園へ。

良い。

昼食前に自転車。20km弱。

 
 
 
 
 
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素晴らしい音。リヴァーブのかかり方や、左右に激しく動く音の運動がよりハッキリと聴こえるような。そもそも音一個一個の存在感が強くなっている。C面の「bright beat」、「the center of gravity」はかなり音色の印象が違う。

幼稚園へ。

 
 
 
 
 
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土曜日に買ったオレンジワインを開ける。その後、すだち泡盛ソーダへ。

ストレッチ。風呂。Hと「仮面ライダーV3」を観ながら。冒頭に一番の見せ場がある構成。

Hを寝かしつけて、ベッドでバルザックを読んでから寝る。

2021年9月14日、あるいはランはランでしか

6時過ぎに起きる。夜中、寝ぼけたHに激しく蹴られたりして睡眠の質が良くない。筋トレ、肩、上腕三頭筋

昼食前に6kmラン。少し距離を伸ばす。自転車もやっているがやはりランはランでしか伸ばせないと理解した。別に伸ばす必要もないのだが……。

気が向いたのでベランダのレモンの剪定。時期的にはあまり良くないがすす病がひどいので風が入るように枝をスッキリとさせた。ゴミ袋いっぱいに枝と葉を切って、肥料を撒く。作業中に隣の部屋に住んでいる女性から声をかけられて少し話す。「わたしもレモン買ってこようかしら」と言っていた。作業中、アゲハチョウの蛹を見つける。しかし、それはもう中身がないやつで、いつの間にか卵から成虫まで育ったやつがいたらしいことがわかった。

夕方、昨日の赤ワインを飲む。昨日よりずっと酸が落ち着いているが、ベリー感が抜けて乳酸っぽさが出ている。ちょうどめちゃくちゃ旨いボージョレ・ヌーヴォーのような感じ。

食後にすだち泡盛ソーダ

ストレッチ。風呂にはいりながらHと「仮面ライダー」を観る。ヒトデンジャー。人が死なない朗らかな回。

寝かしつけで即寝る。

2021年9月13日、あるいは日本ワインの浅さ

6時に起きる。まだ胃が重い感じ。筋トレ、背中、腹筋。朝食時、前に直したまた茶碗が欠けていた。ちょうど補修をした部分。そこだけ直すのもなぁ、と思って捨てる。食後に「仮面ライダーアマゾン」を観る。立花藤兵衛が出てくる(こんなに毎回出てくるとは知らなかった)。さらにアクシデントで裸になった藤兵衛の肉体がめちゃくちゃ引き締まっていることに驚く。

新しい茶碗を注文。同じもの。

昨日の「Barakan Beat」で流れていた。実はジョニ・ミッチェルってそこまでちゃんと聴いていないミュージシャンであるのだが、歌だけじゃなくて、作曲能力もすごすぎるな、と感嘆。

tdさんのブログで知ったUKの女性ラッパーを先週末からよく聴いている。tdさんが指摘しているように最新作はカニエの大名盤『Late Registration』を彷彿とさせるゴージャス、かつヴォリュームに優れたアルバムだが、その前のアルバムのスマート、かつスムースなファンク色の濃いサウンドもまた「今のロンドン」っぽくて好き。

昼食前に自転車。19.5km。

土曜日に出会った新潟のワイナリーのサイトを見ていたら、蔵元が直でワインクラブを運営していることに気づく。面白そうなので入ってみることにする。

domainechaud.net

sekibang.hatenadiary.com

読了。面白かった。深さから浅さへの今っぽさ。これは自分の創作を支える理論にもなりそう。

次。

 
 
 
 
 
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仕事を切り上げて赤ワインを開ける。ヨーロッパ、ニューワールドの深さに対して、日本的な浅さ、ということも考えられるのだろう(浅い = 悪い、ということではまったくない)。表層での戯れとしての日本ワイン。今っぽい。縦方向、垂直に掘られ、あるいは上昇するのではなく、横方向、水平に移動する、ダンスする旨み。歴史の正統的なものを引き継ぐことではなく、私生児的なワインを作り出すこと。まさに日本各地に撒き散らされる種!

食後にすだち泡盛ソーダ

ストレッチ。風呂。

sekibang.hatenadiary.com

読了。

次。

「メロ夜」。ゲストの松下洸平さんが韓国R&Bや日本のR&Bについても紹介していたのが印象的。松尾潔さんがSIRUPについて言及していたのは初めて聞いた気がする。

ロレイン・ダストン ピーター・ギャリソン 『客観性』

この本については、MLだけ参加させてもらっている駒場の某研究会で読書会が開かれていて、その際、原著を買い込んだのだが、肝心の読書会も一回行ったかな……?(そもそも途中参加だったかもしれない)ぐらいで、結局原著をちゃんと読む機会は一度もなかった。

Tweetを確認したら5年ぐらい放っておいたことになる。あまりに素っ気ないタイトルすぎて(というか、原題を素直に訳しただけ)一体何の本かわからないであろうが、科学史/科学哲学の名著の邦訳である。

客観性。科学だけでなく、なにかを判断する際には当たり前のようにそれが求められ、ポジティヴ評価されるもののひとつとなっているその観念。それは、なんとなく17世紀の科学革命の時代に爆誕したようなイメージ、さらには科学革命以前は、みんな妄想じみた主観で世界を見ていた! みたいなイメージを持たれているけども、科学者たちが「やっぱ、客観性って必要だよね」って言い出したのは、割合最近のことで、19世紀の初頭だったんだよね〜、というのが本書。

その客観性の社会的確立の歴史を、科学の現場で生産されるアトラス(科学的図像をまとめた本)の変遷に見ていく。これが大変おもしろい。客観性以前のアトラスでは「本性への忠誠」という価値観が優勢であって、その時代の図像は、描かれた対象物をそのまんま描くのではなく、対象物の「個性」を排除して代表的なもの、理想的なもの、哲学の言葉を使うなら、イデアに近いものに寄せて描かれていた。つまり、そこには学者の主観が入り込み、図像製作者との共同作業のなかで、こねくり回されてでてきたものだった。卑俗なたとえを用いるならば、要するに、写真をアプリで加工して見せたいものにしちゃう、みたいなことだろう。

そう、写真。写真というテクノロジーがでてきたこともあって、主観性の混入を避けながら個物をそのまま描写することが可能になっていく(もっとも本書が指摘しているように、写真の誕生とともに、すなわち客観性が確立されたわけではない。写真だって修正できるし、初期の写真では出版・複製の際に図版化を避けられなかった)。しかし、個物をそのまんま描くことによって、今度は「じゃあ、なんで、それなの」という代表性の問題もでてくるし、図像を使ってなにを伝えるのか、という図像製作から図像をどのように使っていくのか、みたいな話になっていく。客観性以前の図像が学者と職人の共同作業で練り上げられていったものだったのが、どんどん社会的な構築物として広まっていくその過程が歴史として編まれていくよう。

まぁまぁ難しい本だとは思うのだが、大変勉強になったし、第4章「科学的自己」はたまたま同時に読んでいた『創造と狂気の歴史』ともリンクして読めた。

同じ版元から出ているダストン&パークの名著『驚異と自然の秩序』についても邦訳待ってます!

sekibang.blogspot.com

松本卓也 『創造と狂気の歴史: プラトンからドゥルーズまで』

近年のイケてるビジネス・シーンにおいて新たなアイデアを創出するのにはある種のクレイジーさが必要である……などと語られているらしい。そこでのクレイジーであることは、文字通りに「狂っている」、「狂気に侵されている」という病の状態ではなく、その一歩手前ぐらい、なんとか社会的な生活もOKな、言ってしまえば、会社や集団のなかでギリギリ飼いならされるぐらいにはちょうどいいクレイジー具合、それが生産的なクレイジー具合であって、ガチで狂ってたら会社では使えないし、それはクリエイティヴじゃないんだ、ってことらしい。

まことに資本主義的狂気、って感じだが、本書の問いかけは「現代の狂気は、マジな狂気は使えないことになってるけど、哲学の世界だとマジな狂気こそ、マジでクリエイティヴってことになってたんだよ」ってところから始まっている。狂気と創造の関係性をめぐる哲学史

副題にある通り、プラトンからドゥルーズまでを通史的に辿られ「狂気 に侵された人間こそが、一般人にはアクセスできない深淵を見ちゃってるんだよ」とするような統合失調症中心主義が批判的に検討される。プラトンアリストテレスアウグスティヌス → (ちょっと飛んで)フィチーノまで行くまでの人選は、ちょっとヴァールブルク学派っぽく面白く読んだし、精神分析や現代医学の言葉を用いながら近代以降のとくにドイツ観念論の人たちの自我や理性、狂気に関する記述を読み解く手付きは大変勉強になりまくった。ずっと、わかりやすい。終盤のデリダとかドゥルーズとか、個人的にぜんぜんよくわかってない人たちの取り扱いも「そうなんだ! だから、デリダとかドゥルーズってナウいんだ!」みたいな腹落ちもする。