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ブレイディみかこ 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

今年の話題書。大名著『いまモリッシーを聴くということ』の著者によるエッセイ集。イギリス在住で著者の息子を通して見えてくるイギリス社会の様相を伝えている。小学校は品の良いカトリック学校、中学校では地元の元底辺校、というギャップ(しかも中等教育、という要するに多感で難しい年頃の話)がひとつひとつドラマを作っていくのだが、本書が(おそらくは親世代の)感心を呼んだのは、それが「イギリスのはなし」ではなく「我々のはなし」として読み替えて受け取ることが可能な、というよりも、そのように受け取るべき本だからだろう。

このような外国の教育制度にフィーチャーした本が「外国では〜」と出羽守(でわのかみ)を召喚しがちのようにも思うのだが(本書で何度も言及されるシティズンシップ教育、市民としてのあるべき倫理観に関する教育、のようなものは、おそらく最も出羽守を誘発する剤である)、それはそれとして、経済格差や人種差別といった問題の我々の世界との近さについて考えていくべきだろう。

本書ではハッキリ、スッキリと良い感じに物事や問題が整理され、解決されていくような展開はない。子供も親も悩みながら生活を続けていく。そこには偏らないこと、極端な選択を避け続けることで得られる「正しさ」と、そうであるがゆえに発生する「息苦しさ」のようなものが共存している。

無理やりどれか一つを選べという風潮が、ここ数年、なんだか強くなっていますが、それは物事を悪くしているとしか僕には思えません。(P.64)

著者の息子が通う元底辺校の校長が語る言葉は、その状況を暗示するかのようだ。しかし、このなにか一つを選ばないことによって正しさを保てる社会、というものは、ギリギリの豊かさ/余裕のようなものによってこそ担保されえるものでもあろう。選んでしまったほうが、偏ってしまったほうが、収まるし、楽になれるのではないか。徹底的な貧しさはそのような誘惑を呼び起こすようにも思う。まさにこうした主題は『観光客の哲学』的なものであって「2020年以降、ルソーがくる」という私的な予言へとつながっていく。

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