帯には「ラカン入門」と書いてあるが、虚偽に近い。ここからラカンに入門しようとしたら冒頭からラカンがパリ精神分析学会会長を辞任して、フランス精神分析学会を立ち上げ、さらに1961年にそこも事実上の除名されたあたりのいざこざにも触れられているのだが、この経緯も『ラカンの精神分析』あたりを読んでおかないとまったくよくわからない話だろう。
さまざまなラカン入門本を経由したうえで、ラカン自身の著作にチャレンジする第一歩にはひょっとすると良い本なのかも、と思う。あとジジェクが言うように「「セミネール」だけでも、『エクリ』だけでもわからん」ってことで、『エクリ』で言及されているような話も出てくるので手元に『エクリ』があったほうが良い気がする。しっかり前準備をしていれば読めなくはない。ただ、読めるがわからない、ってのが大半で、正直「なんの話だよ……」っていうのが続く、いつもの通り、理解の生産性が限りなく低いラカン本なのであった。
そういうのを我慢して読み進めていて、逆説的なロジックをラカンが多用していることに気づきもする。
たとえば転移(これは本書における基本概念のひとつ。ほかの3つは無意識、反復、欲動)がひとつの分析の契機となる、という話において、ラカンは「転移によって無意識は開くのではなく、閉じるのだ」みたいなことを言う。分析するんだったら、無意識は開かれてなきゃいけないんじゃないか、と思うんだが、閉じるのである。で、閉じたところからはみ出たもの、漏れ出てきたようなものに分析家はアクセスするのだ、みたいな話をしている。
あるいは、アファニシス(消失)。主体の消失の運動においてこそ、主体の姿は現れる、という逆説。
(そういうのがあるからなんだ、って感じだが……)