sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年2月9日、あるいは自転車が囚われる

なかなか起きれず、5時ぐらいまで寝ていた。空気の乾燥と、ジムで利用した後の器具を拭くのに肌に良くない成分が入ったウェットティッシュを使うのとで(たぶん)右手の人差指と中指の先がガサガサになっている。昨日はガサガサの極致に達し、中指の先が割れてしまった。痛い。絆創膏を貼って保護しているが、そうするとトラックパッドが反応しない(画面スクロール操作が人差し指と中指でできない)。

英語ルーティン。今日も英語のハノンで苦戦。NBCではリチャード・アンゲル記者がまた激戦地で取材していた。

久々に出社。その前にジム、背中。

 
 
 
 
 
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出社してあれこれ。いろいろ片付けたところでサントリー美術館へ。木米の生没年はこないだPodcastでも話した北斎の生没年とも重なっている(北斎は1760-1849)。木米は京都、北斎は江戸。木米は文人文化、つまり、中国の文人をひとつの理想形としていろんな文化的な嗜みをやっていた人たちであり、かなりエスタブリッシュな文化圏だったのだと想像されるが、かたや北斎は町人文化のなかでカジュアルに消費されていたものなのだと思う。ちゃんと調べてないので勘で言ってるが。19世紀前半の日本におけるこうした文化的レイヤーをもう少し勉強してみたい気がする(いまのところ手がかりゼロだが……)。

それにしてもこのPodcastも自分ではめちゃくちゃ面白いと思っているのだが、全然再生数が伸びない。自分で自分のアウトプットを面白い! と思ってしまうところに自分の狂気が宿っているのかもしれないがどうしたものか。別に再生数を伸ばしてなにが起こる、というわけでもないんだけれども……。千葉雅也が「他人のことをあれこれ言って承認欲求を満たすなんて不毛なことはせずに、自分の仕事を進めよ」的なTweetをしていて(そういうTweetがあったと思うのだが、いま見たら見つからない。削除されたのかもしれない)、まさに、と思ったのだけれど、再生数を気にする(そして、宣伝などにかまけ、承認欲求を満たそうとする)のではなく、淡々と継続していくのが良いようにも思う。

sekibang.hatenadiary.com

この本にもそういうことが書いてあった気がする。

帰り道、自転車を駐輪場から出そうとすると自転車がスタンドの金具と干渉して出られない、というトラブル。最悪。30分ぐらいかかってようやく警備会社がきて救出される。駐輪場の自転車を整理している係員が無理やりこんなことをやったとしか思えず、人の自転車にこんなことをして良いと思ってるのか、とよっぽど文句を言ってやろうかと思ったが、警備会社の人は「自分は関係ない、知らない」というので怒る気も失せた。ひどい気持ちのままラーメンを食べて帰る。

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満腹になったら少し気が晴れた。

来月坂口恭平の絵を見に行こうかな、と思い立ち、熊本をリサーチするべくガイドを注文。