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文化的消費活動の日記

2024年3月12日、あるいは古伊万里と6歳

4時に起きる。朝から仕事のよくわからないメッセージが送られてきており心が乱れる。振り切って朝ジムへ。胸、腕。ジムと、音楽を聴きながら歩いているときと、Hと本気で遊んでいるときだけは、雑念が浮かばない気がする。

帰宅後、ウトウトしながら少し英語。Hと向かい合って朝食を食べる。なんの会話をしたのか思い出せないが楽しい時間。これもなんの会話の流れだったか思い出せないけれど昨晩「そのうち、Hも父ちゃんのことなんか必要じゃなくなるよ」という話をした。「そうかなぁ」とよくわからない様子だったが、もっと世界が開かれていくと絶対にそうなる。親より友達、親よりも自分が打ち込めるなにか、そういうものに出会っていくだろうし、出会えたら幸せなことだ。そういう風になったとき、ひとつ自分は責任を果たしたことになる、だろう。そうしたときに初めてあらたな責任を負うことができる。

成熟していくこと、大人になること、ちゃんとしていること。すべて避けていきたいと思っていたそうしたものと対峙していく必要がある。

こないだHのお茶碗(ピカチュウが描いてある)を不注意で割ってしまい、新しいのを買うまで古伊万里の染付を使ってもらっている。こぶりなお茶碗ぐらいのサイズ。古伊万里でご飯を食べている6歳が渋すぎて、ずっとそのままで良いんじゃないか、と思う。

サウンドハウスのポイント有効期限が迫っていたのでスピーカーケーブルを買ってみる。朝から晩まで隙間なく打ち合わせが入っていたが、並行して溜まっていたスキャン作業もこなした。

ミーティングが長引く。面白い話はだいたい忙しいときにまとまってやってくる気がする。